社会人1年生の思い出•仕事と宗教

この記事は約5分で読めます。

人生初めて地元から出て

学校を卒業して就職した会社の新入社員研修を含めた研修で初めて地元名古屋から東京で単身生活をしました。

実際には千葉県我孫子市の我孫子駅近くにある工場に通うために隣駅の天王台駅近くでアパート1部屋を社員寮として住んでいました。

仕事の思い出

我孫子から仙台、そして横浜と各地でのOJT研修が続きました。我孫子は会社の先輩2人と同期入団3人の計6人でした、仙台は独身寮で各部屋1人で横浜は親会社の寮長1人、他の会社の方3人の計5人で住んでいました。

酒が駄目になったきっかけは

寮長には何故か好かれて良くしてもらいました。酒好きで毎晩近くのスナックへ全員行かされました他の方は知りませんが私はあまり酒が飲めずに費用を払った記憶はありません。

ある休みの昼間に全員で酒盛りをして私は樹氷のガブ飲みして倒れました、酒の限度が分からずに飲み過ぎたのが原因でした。それ以来訓練目的で飲まされましたが体質だったなか苦い思い出の関係か身体が受け付けなくなりました。

社員旅行のように一晩掛けてゆっくり飲むのは良いのですが終電にしても時間制限がある飲み会はダメでした。

宗教との出会い

慣れない都会でハマりやすいようですが、宗教の勧誘も受けました。S会の信者さんが同期入社の同僚と社内の手話勉強会のメンバー2人も信者で3人がかりの折伏(勧誘)もありました。

都心でフラフラしているのビデオ視聴の名目で統一教会の勧誘も受けて一泊の泊り込み研修を受講したことも、地元名古屋で事件が起きる前のオウム真理教の集会に行った事も有りますが異様な熱気に押されてすぐに帰りました。

天王台駅に向かう途中でパネル展なるものをしている団体があって興味を持って帰り道に通ったら既に撤収されていました。真光と聞きましたので書店で本を探して世界真光文明教団の拠点に行くと、それは崇教真光でしょうと言われてここは違うと聞きました。

以下その後の宗教経験を書きますが更に興味がある方向けに有料購読とさせて頂きます。

これまでの流れを俯瞰してご神縁の深さを実感しましたが、その経過の紹介です。

上野道場で初級研修受講

現在は3代教え主様ですが初代教え主様の昇天時に教団の分裂があって世界真光文明教団と崇教真光に分かれました。

研修会に初級、中級、上級とあります。柏駅近くの柏連絡所に通っていました。消防士の旦那さんと奥さんと子供さんの青木さん宅の2階にありました。

上野道場で初級研修を受けましたが「うえの」ではなく「かみの」道場と呼ばれ何故と聞くと二代教え主様が拠点にしていた由緒正しい道場なので誇りを持ってそう呼んでいたようです。

訓練生になるまで

連絡所に通ううちに何故か教団道士を養成する訓練学校に入りたくなりました。先ずは組み手(信者)になるために3日間の初級研修を受講しました。

入学のために未成年は両親の許可が必要になりますが母親は他の宗教を信仰して、父親がどう言うか心配でしたが「自分で決めた道ならば」と許可が出ました。

教習所は何と地元名古屋の名東区で1階は虹が丘道場で2階が訓練部でした、競歩では青少年公園に行きました。訓練生の人数が多かったので各道場での実習と教場で学ぶ生徒と半分に分かれてローテーションしていました。

諫早道場実習

教場での学びを終えて実習で諫早道場に配属になりました。最近知ったのですが二代教え主分裂時に世界真光文明教団に残ったのは上野道場と諫早道場の数名でした。その両道場に所属ないし配属される仕組みの深さを実感しました。 

訓練部との分かれ

諫早道場では方面合同周年祭のご奉仕を終えて後に急激に訓練生から降りたくなり、ご神前で祈り合わせをしたあとに、方面指導部長にお伺いを立てた降りる事になりました。

訓練部を去る時に胸に響いたのは「教団幹部の道士では出来ない事を組み手として行いなさい」でした。

向田道場長の城北道場に移りました

自宅近くの城北道場に通いました、後から向田道場長はこの地方の開拓者と聞いて早く知っていれば色々聞けた時にとも思いました。

仮に聞いたとしても過去の事を得意げに話しなり教訓らしきものはおっしゃらずに日々真摯に変わらぬ指導をされていたでしょうか。

中級研修会を田園調布道場で受講

名古屋住まいでしたが仕事の関係で東京方面に行った時に田園調布道場で中級研修会を受講しました。田園調布道場も初代教え主様の本拠地で誇り高い道場である事を後から知りました。

二代教え主様昇天後の分裂

正月に二代教え主様が昇天されて再びの教団分裂がありした。反旗をひるがえしたのは何とはりもと訓練部長と聞いて何故?の想いが強くありました。道場でも道士と実習生が三代教え主様を巡って道場が二分して出て行く人も居ました。

再び虹が丘道場そして平岡道場長の新名古屋道場に

訓練部が出て行ってお守りを近くの城北道場組み手が遷座と言う形で行いました。道場は青年部長でしたので道場が落ち着いたら移籍を考えていました。

行先は名古屋駅近くの森ビルオーナーが道場長の新名古屋道場です。虹が丘道場も教団の整理が終わると閉所して組み手(信者)は新名古屋道場か北区のアパートの一室の稚児宮道場のどちらかを選択しての移籍になりました。

新名古屋道場の閉所と名古屋道場移籍

新名古屋道場が世界真光文明教団から他の宗教に趣旨変えをされたので栄近くの久屋大通駅近くのマンション一室が名古屋道場として移転しました。

その間は冬眠(休眠)していた為か記憶にありません。後から顛末を聞くと新名古屋道場長から移転の処理を頼まれて近藤さんが予期せずに名古屋道場の初代道場長になられました。

暫くすると稚児宮道場が閉所されて一部の組み手さんが名古屋に来られました。

西中京方面から東海方面に変更されました

それまで厳格で厳しかった西中京(現中京)方面からアットホームな東海方面に所属変更されてカルチャーショックを覚えました。

訓練部針本部長側の話しを聞いて

その後機会があって世界真光文明教団に反旗をひるがえして設立された教団で話しを聞きました。立場が変われば捉え方も正反対になり教団から見れば反乱行為を静止した行為が相手から見れば主張を力づくで抑えられたと聞きました。

その話しを当時の道場長に話すとどこに行って話しを聞くのも本人の自由ですが混乱が伴うのでお勧めはしないとの事。また先方の言われた事と事実にギャップがあると聞きました。

今後の方向性は?!

現在は名古屋の久屋大通駅近くの名古屋道場と中村公園駅近くの豊国道場があります。これらが新拠点を見つけて合併して一体した道場に降格する事が目標です。

仲は悪くないと思いますが歴史も文化も全く違う2つの道場が1つになるには色々な課題もあります。全ては組み手の想いを神様が取り上げて下さいのでどうなるかは分かりません。

2つの道場の合併と合わせてこれまで元1つから分裂した教団が再び1つになった時が次世代と言われる霊文明の入り口に立つ時に思います。

肉味を持つ身である以上「許し合い助け合う」事が大切と分かってもなかなか出来ないものがあります。それを乗り越えるためにトラブルとか事故とかが起きるのかも知れません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました