40代最後の仕事と介護職になった理由
高卒からエンジニアに向けて
高卒からは電気通信畑を回っていました。求人に「電子交換機の技術者」募集とありましたが??で面談に行ったら即採用でした。
30代前半までは通信メーカーの孫請で事業所向けの電話工事·メンテナンスをしていました。
結構楽しかったですが収入面で結婚が難しいかったので先輩·社長と相談して転職する事になりました。
30代で現場管理の仕事に
何のきっかけかは忘れましたが「官公庁向けの施工管理技士」募集で何の事かわからないまま興味本位で面接そして即採用になりました。
国家資格の「施工管理技士」の取得は業務上必要不可欠で何とか取得して、「1種電気工事士」も併せて取得しました。
この2つの資格で業界から去った40代最後まで7社変わりましまたが、当時は取得者が少なく国からの配置基準が厳しくチェックされたので転職には苦労しませんでした。
40代で建設業界を最後にしたのは
最後の会社はこれまでの官公庁の現場管理(監督)の仕事から1職人でこの先やっていくつもりでした。
民間の電気工事会社では上司の気分によるイジメが当たり前に行われていました。
私は2次面接は岐阜を受けて通勤面から名古屋に変更しましたが自分の面接で採用した訳で無いので、それも面白くない併せて職場で上司しか持っていない資格の上位を持っている事も気に入らないようでした。
電気工事店の厳しさは知っていましたので始発に出勤して夜の9-10に上司が帰るまでの在籍は当たり前でタイムカードは勤務時間内で打刻でした。
求人募集では日曜日休みで本社の集合研修も日曜日出勤は代休で消化しました。集合研修が終わり現場入りの日曜日の朝に喫茶店でモーニングをしていると上司から電話がありました。
何事かと思って出ると「今何処から始まり、役職が付いたら月1休める」と激怒でした。「今から行きます」と伝えましたが「もう来なくていい」をと言われて月曜日出勤すると大変でした。
勤務形態は朝の準備をしたら土木、電気のグループに分かれて車で現場に移動です。私は電気グループでしたがメンバーから外されて土木グループだけ居たので資材庫行けば電気グループに合えると思い土木グループに同乗しました。
資材庫に行っても電気グループが居ないのでメンバーに電話すると車は現場に向かって居るので歩いて来てと言われて、昨日の日曜日休みの報復かと感じました。
徒歩は無理なので最寄りまで公共機関で移動して長距離を徒歩で行きました。現場に着いて挨拶をしても上司は無視で一言もありませんでした。
職人さんに声を掛けても当人が上司から怒られるので作業に出たゴミ拾いを陰でやっていました。帰りはどうなるかと思い車に乗り込むと何事も言われずに会社に向かいました。
その後も現場では上司の厳しいイジメに遭いながらも職人さんが陰で仕事の仕方や上司の対応を教えて頂きながらやっていました。
この上司の下に腰ぎんちゃくと言われる若手の社員がべったりと居て虎の威を借りる行動をしておました。現場で2人で同行するとやる事なす事にケチを付けてきて、ついて我慢の限界がきました。
会社について上司に「もう無理です」的な事を伝えると「自分は人事権限は無いので所長に確認して」と言われ所長に確認すると頭越しに上司と話して所長の「どう」から上司の「いいんじゃないですか」の一言から「試用期間なので即日退社でもいいよ」の話しでした。
「よければ12月の月末までの在籍」をお願いして数週間後の年末に退社しました。
50歳で建設業界から介護職なった背景は
20代の時に手話サークルの主宰者から障害施設の開設で職員募集を聞いたのがきっかけで障害者団体と関わりました。
当時の私の福祉のイメージと法人の目指す共生の理念に大きな隔たりがあって、やる事と言えば障害者とのパン作りでした。
たまに送迎や食事介助がありましたが来る日も来る日も昼間はパン作りで夜はメンバーと酒を飲みながら障害者運動の話しでした。
当時は結成当時で介護の概念も経験者も少なく状態で現場で体験して学んでのスタイルで1年半後に退職しました。
普通ならここで縁が切れてそのままですが20年後の40代後半に当時の施設長から電話が来て「介護部署(事業)を始めたので良ければ」に休日アルバイトを始めました。
人生設計では60歳の定年後に介護職を始める予定でした。介護のアルバイトがしっくり来たので責任者にフルタイムの打診をすると給与に問題無ければいつ来てもらってもいいの返事でした。
その事を家内に伝えて給与を見せると格段に下がっていたので、子供が学校を出て働くまで待つように話しがあり、その日までアルバイトのつもりでした。
そんなある日にブラック勤務を見てか身体が大切なので介助に仕事を変わってもいいと話しがありました。
そんな状況で建設現場に入って我慢の限界に達した時に介護の責任者に電話で「状況的に1月から仕事を変わりそうですが、今もフルタイム可能か」を聞くと暫くして大丈夫の返事があったので退職を言い出せました。
昔は感情的に離職していましたが家族に心配をかけた事を反省して手順を踏んで行動するように改めていたのが良かったみたいです。
2015年1月に介護職になる
人生設計より10年早めの介護職の開始でした。入社したのは障害者運動から立ち上がった団体で社会福祉法人とNPO法人を持っています。
介護保険、障害者支援など公的援助が難しい場面をNPO法人で補う形をとっています。
法人の運営するグループホームに訪問介護に行って同一法人の就労支援施設からグループホームへの送迎、夜間見守り、朝の送迎までを数グループホームの方に行っていました。
ある時に40-50代の利用者が立て続けに病院で亡くなり離職したヘルパーがいました。
今思えばそれば心理的負担になった感もありますが離職理由では夜勤がきつくなったと伝えました。
気づけばそこで5年間在籍していて、各種の介護証明が1社でまかなえて介護福祉士の資格も自腹ですが取得しました。
ここだけの話し夜間はベット生活の方の傍で寝てもいい事になっています、発語出来ない方でしたが「私はもういい(大丈夫)ので必要な人のところ」にメッセンジャーが聞こえのも離職理由でした。
2020年1月に児童デイサービスに勤務
それは不思議な天の導き?
それは不思議な出来事でした。いつも夜勤で通る道順の途中にひときわ輝いて見える看板が目につきました。
気になってホームページで調べて面談申し込みをしました。
後から考えれば普通の看板なので夜間にライト照明は無いし、翌週以降にそこを通っても薄暗くて通り過ぎてしまいました。
面接に電話をするといつもは居ない代表が出たり、通常は面接に立ち会わないのに私の時は顔を出して即採用になりました。
子供たちを送迎する途中に子供がチャイルドシートを抜け出て運転者の髪を掴んだり、靴や周りのものを運転席に投げたりして大変でした。
一番大変だったのは運転中に何かで頭を叩かれてもうろうとした時でした、子供たちに何かあってはいけないの一心で事業所につきました。
ここでは5年振りの運転のためは駐車場での接触や対面車両とのミラー接触が頻発しました。
2年在籍すれば児童指導員の資格が取得出来るのを念願していました。
子供がイタズラを叱ったのを代表に咎められて許さないない行為と叱責がありました。その後にブログに場所等を分からないようにいい点を上げたのに、その場にいた職員から「自分の知らない所での投稿が怖い」と総括管理者に上がりそ事から代表に報告が行って退職勧告を受けました。
法的に言えば取り消し可能ですが零細企業のオーナーと少人数のスタッフに嫌らわれて出勤してもお互い辛いだけと思い2週間後の月末に離職しました。
突然の離職で人生初の1ヶ月無職に
突然の離職勧告で次の2020年11月1ヶ月は無職になり不安に日々を送りました。
転職リクルートの誘いで意図せぬ高齢者施設に
入職先は障害者施設(介護)を要望してネットの転職リクルートに申し込みましたが条件が合わずに無職月を探す中で焦りもあったと思います。
妥協して高齢者の小規模多機能施設に入職しました。慣れない高齢者介護や厳しいと感じるスタッフの対応で心身とも疲れて、出勤時に足が動かなくなり職場に連絡を入れて奇跡的に空いていた心療内科に受診しました。
定期的な薬と頓服が処方されました、関連するのかは不明ですが大腸ポリープが見つかり除去で入院したり、術前検査で心電図に異常が出たり腎臓に黒いものが発見されたりしました。
心電図の異常はポリープ手術前に精密検査が行われて結果は異常なし、肝臓の黒い部分は術後に精密検査をすると腫瘍でした。→その後の経過観察で良性腫瘍と判定されました。
度重なるアクシデントに人生これでお終いかと思う時もありました。そんな時に転職フェアがありクオカード目当てで出店先を何件か周り連絡先を残しました。
2021年4月念願のNPO法人からお誘いが
人生を諦めかけていた時に障害者介護をメインに児童、高齢者の介護をさせてもらえる営利法人ではないNPO法人から連絡があり、面談してまさかの転職が叶いました。
ただ1点補助金をもらう為と言え半年間は期間限定社員の採用は始めてで気になりましたが入社する人全てが期間限定から正社員になると聞き書類にサインしました。
勤務を始めてやりたかった障害者の行動援護と児童支援、慣れ始めた高齢者介護とスムーズに進むかと思われました。
とある日に行動援護から就労支援施設に戻った時に1人は他の部署の管理者でもう1人は新人の2人で私の事を話していて陰口に聞こえて、ついつい感情的に怒ってしまいました。
その件は後にお互いの反省で和解すると思いきや半年後の正社員の更新の話しが全く出ずに、聞いて暫くするとトラブルの事があったので3ヶ月延長して様子見にするとの事でした。
和解したと思った事が懸案になった事、半年更新が全く眼中に無かった事に不信感を覚えました。
その辛い想いを休日に所属する上司にメールで伝えると週明けに私たち法人が理念とする想いと大きく違う
そしてここでもブログに職場が大変な事を書いた事を指摘されて「仲間に裏切られた思いでこの先は一緒に仕事は出来ないので、この先3ヶ月更新はするけど12月までで更新はしない」と言われました。
メール内容は記憶していませんが辛い想いを伝えたくらいで法人の理念に反しているとは思われずに前の離職を思えば3ヶ月の猶予を頂いた事に感謝を覚えました。
2021年11月民間の高齢者デイサービスに転職
3ヶ月の猶予を居いたと言え想いを共有出来ないメンバーとはお互いに辛いと思い転職活動を始めました。
NPO法人は営利団体と違い売り上げは二の次になります。法人の共通目的の理念に合わないスタッフへの風当たりは営利団体と比較にならないほど強い事を身に持って知りました。
これまでの反省と欠点を打ち明けて面接
次にこれはと思ってのは耐性が付いた高齢者デイサービスの職場でした。
これまでの介護の転職で失敗した事をまとめて履歴書に記載して、それらを反省して面談を受けました。
採用は難しいと思っていましたが、受けたクレペリンテストと自分の欠点が一致して、一転し社長に誠実と言われての採用に至りました。
入社半年は苦手な送迎や送迎中の利用者との会話がどうしても克服出来ずに管理者に相談しました。
結果は苦手な事をしても仕事が楽しくないし、資格持ちなので老人ホームの異動を専務に打診してみるとの話しで終わって暫くすると正式に異動になって送迎からは免除されました。
2022年11月重度訪問介護に変わる
高齢者施設を去るきっかけは
ただ1人のお局的な管理者とは気が合わず送迎に来ては色々とありました。
送迎の大変さは分かっていたので、共感はするものの同じ会社なのでもう少し施設側の話しも聞いて欲しいと思って、ある日口答えをして直属の上司から注意を受けました。
この送迎の方は専務と仲が良くてトラブルの話しは伝わっているようでした。スタッフ話しでは好き嫌いで評価が分かれて、嫌われた事業所に配属されると月の評価は必然的に悪くなり給料プラスされふ報奨金が削減されます。
嫌われた事業所の管理者と責任者は私の退職前に2人揃って会社を離れました。会社の運営は全員が全事業所の管理者と責任者をローテションで担当して誰が抜けても即対応可能になっています。
新しい職場に転職を決めたのは
ウチの弟が若くして脳腫瘍にかかり手術の結果、俗に言う植物人間になり病院は数ヶ月ごとに転院して、受け入れる介護事業所が無い現実に介護職として無力さを感じました。
受け入れ側としたら植物人間のケアを打診されたらお断りはある意味では仕方ないとは思いました。
その中でこの世の出来事に偶然は無く全て必然と聞きますが、重度訪問介護事業の創始者の高浜代表の講演を聞いて胸に響きました。
その時の職場は多少の不満はあるものの、これまでと違って転職するまでも無く暫くはそのままでした。
還暦を2.3年後に迎えて自分はこれでいいのか?の自問自答をして先ずは説明会だけでも聞く事にしました。
これまでなら直ぐに転職に走る所ですが面接の申し込みをするまでも暫く掛かりました。
面談時は迷いがあり非常勤の応募でしたが覚悟を決める為に常勤の勤務を打診して了解されました。
配属先は健常者だった高校時代に事故か病気で脳に障害が出て重度知的障害と手足が動かなくてベット生活の方でした。
退院後に昼間のヘルパーが見つからずに母親が介護をするつもりで転居して室内にリフトをつけられていました。
私の入社でピッタリのタイミングでした、まさに弟が巡り合わせたように感じました。
58歳を迎えた2022年12月は一時トラブルがあったものの慣れ始めていました。時折利用者のお母さんから定年後はどうるすか?と話しがありました。
軽い雑談でしてので2年後は彼に新しいヘルパーが見つかっていると思うので心機一転して新しい職場もいいかも、但し新たなヘルパーが見つからなければ継続しますと伝えました。
当時は私のもう1人の男性の2人体制でしたが、彼が退職して1人になって再三もう1人のヘルパー要請をしていましたが叶えられませんでした。
強度行動障害者の特化施設に異動希望したのは
そして2024年12月の60歳の定年の年になりました。それまでに新しいヘルパーが配属されたら社内公募された強度行動障害の特化施設に異動応募をしたいと思っていました。
会社は利用者を第一に考えているので今の環境で私が抜ける事で強制的に新人が配置されると考えて異動公募をしました。
異動は認められて段階的に週1から始まりました、想定した新ヘルパーは人が見つからないの理由でコーデネーターと言われる中間管理者が支援に入りました。
お母さんの配慮で私が異動しやすいようにとこれまで嫌っていた生活介護を日数を増やす事にして最後は週2回になり新しいヘルパーが入るかと思っていました。
まさかの支援撤退が伝えられました、理由は人が居ない為でした。代表の講演では単身赴任等のあらゆる方法を使って途切れない支援をしていると聞いていましたのでショックでした。
一時はお母さん1人の支援は大変なので異動辞令をけって他社に移っても支援のお手伝いをしたいと思っていました。
結果的に新しく拠点を新設した介護事業所からお母さんが願っていた女性ヘルパー2人が見つかりホッとしました。
2025年4月から強度行動障害に特化した施設で1週間のフルでの勤務になりました。
これからも波乱万丈は続くのか?
人生思い通りに行かないもので念願の仕事に就けたと思ったら「超苦手な狭い車庫からの送迎」や「誤字脱字がもれなくある私に記録のために短時間にパソコンに入力、誤字脱字を指摘されること」更に「食事介助での苦手な完食」や「お局さま的先輩社員との試練」など課題は山積みの状況です。
介護職に最初に入って夜勤が理由で退職した職場に3度目挑戦で復帰したいと思いつつ過ごしいました。
そんな中で求人がたまたま目に入って動揺している最中です。
どうなる俺、後半に続く的な状況です。
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