神様からのメッセージ-人に聞かずお天道様に伺う

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【まえがき】
wordpress内の10年以上も前の記事の遂行を行っていますが、今よりも内容があってブログらしく感じた  

今は多分焦りからだろうか?週末にはブログ1記事を上げなくてはと思うのも一因かも知れない

今日からは職人ないしアーティストのように書きたい時に書いて意欲がなければ仮に何ヶ月空けようと思う

自分は今大企業病に罹患しているので養生期間が必要かと思う

【本題】

私は教祖の書籍で導かれたので教団内に頼れる人もいないので、困り事は神殿前に神様に祈り答えをもらっています。

言葉でもらうわけではなく、周りの人の何気ない一言や現象から感じた事がメッセージです。

自分の「これからの生き方と在り方」に迷い問い掛けに9月末の式典で返って来た現象から自分が感じたことを紹介します。

講演会で出た「凡の非凡」から「当たり前(の毎日)は当たり前でない奇跡の毎日」に気づきました。

お参り時の柏手が私だけズレたり、いつも奏上して祈り事を言い間違えた事を通して神様(宇宙の大いなる存在)の法則から自分がズレている事に気づきました。

御歌の一首「下座の業 他人の押し上げる人」と「我が罪、思わば他人に頭上がらず」が心に残り今の自分は我と慢心で素直さを忘れていた事に気づきました。

そして昨日の事ですが参拝に今月は1回した行かなかったためので今月末の土日のどちらかに行こうと思いました。

毎回のパターンでズルズル先送りにして結果行かずじまいもありましたが天気予報では土曜日昼から日曜日は雨でしたので土曜日の午前に向かいました。

用事が3つ終えての参拝でしたので道場の到着時間は未定でしたが、いつも通り朝早く起きたので前倒しで済んで道場へは予想しなかった開始お参り前に到着しました。

この事から神様(大いなる存在)は必要な人を必要なところに送る。自分もバタバタと悪あがきせずに居るべきところに行かせるし、許しが無ければ行きたいところにいけないと思いました。

月並みの言葉ですが「自分がしっくりきて世のため人のため」につながる方法に向かいたいと思いました。

ほんとう世のため人のためには自分がどうたち振る舞えばいいかは試行錯誤しながら自問自答をしつづける必要があると感じています。

 

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