
人生の歯車が狂う時
2008年9月から長野に担当場所・客先が変わりました。その時から何か歯車が狂ったかのように、する事全てが裏目に出るようになりました。
2008年10月末からは、本来は私一人での担当がお客様の指示で補助(実際にはお目付け役でもう一人入りました) その方のお陰で、問題点が分かってきました。問題として「人に任せ」=仕事に対する熱意のなさが客先に伝わり今日に至ったのではと思います。
気付いた時は10月末で9月からの客先不信を挽回するには時間がたち過ぎていました。 しかし、必死になって自分の問題点を確認して巻き返しを行いました。
後で知ったのですが、「最近は、とても良く出来ている」の評価でした。 その時の心情は「後がないのでまだまだ」と必死でした。
ある朝、皆さんの期待を裏切るが事が発生させました。 名古屋に帰り「理由はなんでしょう?」の問いに「自分自身の弱さ」「上司に相談出来ない我の強さ」を多いに反省しました。
1週間~2週間の休暇(代休消化)を頂きました。この休みについても悲観的に見るか前向きに見るかで今後に対する行動が大きく変わると考えます。 心配して声を掛けて頂いた方が数人いました。人生のどん底で声を掛けてくれる方がかけがいのない人である事を聞いていますが、まさにその通りです。
現時点では社内での方向性が見えていませんが、この時期「リフレッシュ」させて頂ける事「心遣いをされる方の存在」を知った事に感謝しています。
今後、どのような場所に行こうとも、今回学んだ事は「自分から逃げない」「上司・周囲に声をかける」です。今回の事を多いに反省して明日からの行動につなげて行きます。
辛くなった時は「不平・不満」ではなく、その場に入れる事に「感謝」をして「自分を飾らず周りに自分をさらけ出す」事で乗り越えて行きます。
今回の出来事は自分・周囲にとても辛い結果になりましたが、それを無駄にはせず仕事・人生に生かす事で反省としたいと思います。
何とか今の仕事でやって行こうと思う矢先の9月始めに転機がありました。 自分の希望とは別に転進=退職勧告の話しが持ち上がりました。
上司の公認の元で次の仕事探しを始めました。まずは名古屋人材銀行での登録を行ないました。
【名古屋人材銀行:「管理職」や「技術職」、また専門的知識や資格を必要とする「専門職」のみに限定して職業紹介を行う厚生労働省の施設です。】 その帰り道にふとその通り道にあった名駅のハローワークで求人をみようと思い寄った結果、自分の希望に合った求人がありました。
週明けの7日に名古屋人材銀行に確認した所、名古屋人材銀行とハローワークとはやり取りがない事を知りました。 18時の定時に帰り栄の中日ビルのハローワークは19時まで空いているとの事をある場面で耳にして知りました。 複数階に該当する場所があり上の階に行ってみるとそこはすでに終了しており、たまたまそこから出てきた方に事情を話すと下の階である事を教えて頂きました。
そこで希望の会社の求人を取り出し所定の手続きを行なった上で、ハローワーク経由で書類選考の申し込みの了解を頂き、面接まで進みました。
現在 営業担当の方が私の経歴と合った現場を探している最中です。正直 不安・辛さもありますが、手元にあった本で励まされる言葉がありました。皆さんにもご紹介します。
苦しい想いをしてきた人ほど、他人の気持ちを推し量り、他人の痛みを自分の痛みのように感じられる心の柔らかさを持っている。
それは大きな力になり、苦しんでいる人たちに真の愛情を注いだとき、その愛が人の魂を揺さぶり、相手の人生に勇気を与えることができる。
人生っていったい障害者への想い
2009年6月20日記事
【私の思想・信念】
目が見える事、音は聞こえない事、文章・絵・音楽が上手い事は「人間の価値には一切関係ないと考えます。」
個性の違いと考えます。私は盲ろう者のガイドヘルパーをしていますが、盲・聾のガイドヘルパーもいますし、実際に健常者が一次通訳を行い盲ろう者の障がいの種別により盲・聾者が通訳しています。
では健常者が偉いのでしょうか?違います。単に耳が聞こえ、目が見える「個性」を持っているだけです。聾者の中で手話が使えなければ、ある意味障害者です。しかし彼らは親切に接して頂きました。
ホームレスの支援も数回させて頂きます。けっして「施す」のではなく、今は配給のお手伝いが出来るのでそうしただけです。明日は受ける側にいるかも知れません。それはそれで良いと思います。一部のホームレスさんの気持ちが理解できたので。
障害のもっている方は環境がそうさせたのか「優しい」方が多いです。この前の盲ろう者ガイドヘルパーの時に「○○・時刻表のサイトがピンデスプレイの未対応に改悪され」腹が立ったので○○にメールを入れましたが改善を気はないとの返事が来ました。
当事者に「再度ホームページの改修要求をだそうか」と言った所で「もういいですよ」と言われ涙が出ました。個人でも出来るホームページの改修は「見栄えのため」「少数派の意見」のために行われない背景には「社会的弱者」に対する差別的考えがあるのではないでしょうか?
健常者を基準にした社会は歪んだ社会だと思います。車内で女子中学(高生)が奇声を上げても特別視せず、障がい者が声を上げると変わった目で見られるのはなぜでしょうか?
背景には障がいを持った人が周りに居ない(施設等に閉じ込められている)事が原因を一端ではと思います。
更に言えば「障がい=恥」と間違った考えが根底にあるのではないでしょうか?
これらの社会の矛盾に気づいた人はなんらか声(アクション)を上げていく事が重要かと思います。
時には独断で差別的な考えもあると思いますが、あえて「声をあげ、思い違いは当事者と充分な話しあい(時には喧嘩も)が必要かと思います」
誰かが始めなければ何も始まらないと思います。
以上、私の思いを書きました。「障がい者差別」については口や態度には出さなくも心で思っていても「差別は差別」と思います。
夢や理想では飯は食えない事は分かっています。しかし当事者と会い「障がい」があるために、受ける不便さ「障がい者」だから仕方がない、そんな諦めに似た納得をする事が一人でも減るようにームページを通じて社会にまた自分に問い掛ければと思っています。
一世代では「障がい者」問題は解決出来ないと思いますが、私の行動が「社会的弱者の気持ちを代弁でき、それに共感者」が出来ればこれに勝る喜びはありません。
【総括】
上記のメールをある「共生・共働を目指して活動している団体に送りました。そこで共に働きたいと真剣に思い「私の思い」を送りました。しかし家族を持つ現状では厳しく私一人でしたら何の躊躇もなく行動を起こしていますが・・・
『人は夢(理想)がなくては生きていけない、しかし夢(理想)だけでは生きていけない』そんな現実を見た思いです。人がこの世に生まれるのに、何かを人のためにするための使命があると思います。
人それぞれ、果たして自分は今の(職場)ままがよいのか、変わるのが天の意思なのか分かりません。今ある事を精一杯させて頂きその答えを見つけるしかないと感じています。
人間万事塞翁が馬・退職から半年たって
2010年5月26日記事
1年前から仕事環境が大きく変わり、フトこの故事が浮かびました。
大雑把は意味は「不運に見える事が幸運を招いたり、幸運と思える事が不運のきっかけだったり物事はどう進むか分からない」事です。
私流の捉え方として、人知で不運と思える事でも諦めずにそこで学んだ事を生かす事。幸運な時でも喜ぶ事は大切ですが有頂天にならずにそこに到るまでの周囲の助けに感謝を忘れない事で、不幸と思える事はいずれ過ぎさり幸運が訪れるのではと勝手に解釈しました。
次の出張先は?!
ここまで二たびのどん底から立ち上がった後の2010年7月5日記事です。
出張で記憶に残っている一番古いのは社会人になって初めての熊本に行って通信工事をしたことです。
その後に現場作業から監理業務に職種が変り半年以上の常駐になりました。て中津川の付知町で下水処理施設の電気設備工事で民宿に泊まったこと、次に三重県の玉城町のアパートに住みこんでの単身赴任でした。
最近は岡山のレオパレスに泊まり道路にある情報表示盤据え付けの管理業務。
2010年度に入って静岡県の沼津で現場調査でビジネスホテルに宿泊しました。更に長野県の中野・飯山で交通状況を監視するカメラ取付け工事の下見でビジネスホテル泊まり工事が始まれば管理業務を行います。
上記は応援的な要素が大きく2010年11月初めに完了するので、その後は主担当件名あるいは新たな応援件名で忙しくなりそうです。
経費面から1ヶ所で1週間以上泊まるのであればレオパレス、それ以下であればビジネスホテルの可能性が高いです。社内での応援、地元の担当も可能性は低いですがあります。
まもなく事務所のレイアウト変更もあり新しい環境を楽しみたいと思います。
【このあと予想しない三度のピンチが訪れることは知る由もありませんでした・・】


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