1つのラストステージを感じて?!-仕事と神様事を通して

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人って亡くなる時にそれまでの人生を走馬灯のようにリプレイすると聞きます。

私も人生の終わりではないのですが、1つのステージの終わりに、それまでの事が懐かしく思い出される事があり、今回もそれがありました、

これまでのブログ等で過去の経歴を紹介しているので深い背景は過去記事を見て頂ければと思います。

週末金曜日に職場で体験したこと

前提になる介護経歴について

過去の半世紀は現場管理を行って50歳で介護職になりました。

最初は障害者施設に5年

2015年1月介護職になって5年は安定していましたが年齢の関係か夜勤がきつくなったのがきっかけで、たまたま看板を目にした児童デイサービスに2020年1月に転職しました。

次に児童デイサービスで10ヶ月

2年後の児童指導員の資格取得を目指していたところ、子供を怒鳴った事と他の事が重なって2020年10月に懲戒処分になりました。

高齢者小規模多機能施設で4ヶ月

その後も障害者の介護をしたかったのですが窓口にしたネットのリクルーターから条件が合うのは高齢者施設しか無い状態で2020年11月の無職が1ヶ月続いたストレスから不本意ながら2020年12月に大手介護会社に入職したもののうつ状態になったり、偶然か大腸ポリープ等の見つかって4ヶ月後の2021年3月で退職しました。

障害者/高齢者施設のNPOで7ヶ月

次に転職フェアがきっかけで声をかけられた高齢者と障害者施設を運営するNPO法人に入り念願の障害者介護が出来ると思って2021年4月に入社しました。

ただ1点会社に給付金が入るとの事で半年は契約社員扱いが気になっていました、7ヶ月目になっても正社員への更新の話しがありませんでした。

その他の状況も重なって短気を起こした事がきっかけであと3ヶ月だけ更新をして12月以降の更新はなし=退職を2021年10月に宣告されました。

先が見えた所で3ヶ月過ごすより新天地を見たようと思い、その頃には高齢者介護も抵抗なくと言うか興味が出てきて高齢者施設も視野に入れて転職先を探しました。

高齢者デイサービス/老人ホームで1年

それまでの転職の反省点と自分の悪い点を洗いざらい話して受け入れられた介護施設にしようと思っていた所にドアツードアが30分以内の個人オーナーの職場を見つけました。

それまでの介護職を転職した理由で自分の欠点と反省点を伝えたところ、適正テストでもその点が見られて人生不思議なもので自分の欠点を伝えた事が正直者と好印象に取られて2021年11月に入社しました。

高齢者施設でしたがここが最後の想いで入社しました。そこは半日デイサービスとデイサービスをメインに送迎とリクレーションが主の仕事でした。

高齢者の送迎で車内での話題の無さと日々変わる送迎の道順を覚えられない問題が発生して、これまで自己判断で対応してトラブルになったのを反省して管理者に相談しました。

管理者曰く嫌々送迎しても本人と利用者のために良くないし、資格もあるので法人内の老人ホームの職員兼訪問介護員としての職場移動を提案され半年で老人ホームに移動しました。

重度訪問介護2年半で移動

そんな中で結婚した弟の脳腫が発覚して手術できっかけ亡くなりました。弟は手術前にもしもの時は延命を望んでいませんでした。

植物人間に対する介護施設は見つからずに、病院も回復の見込みが無い患者は数ヶ月事に転院との事でした。その事を見通してかのような言葉でした。

介護士でありながら、もし弟と同じ状態の方を受け入れるかと言えば現状の難しさに愕然としました。

そんな事がきっかけで人生最後の介護と決めつつ2022年11月に重度訪問介護の道にシフトしました。

重度訪問介護から強度行動障害向け施設に移動して

長々と右葉曲折した介護歴を書きました。2022年11月入社と同時に配属になったのは自宅から2時間近くの新規利用者でした。

脳の病気か怪我で入院した青年男子でベット生活の方の昼間の支援でした。支援に入って暫くしてちよっとした事で保護者の方とトラブルになりましたが上司等の仲介で離脱する事なく継続出来ました。

重度訪問介護は日(曜日)変わりで複数の利用者宅を訪問するものですが、運良く日中に入れる方がヘルパーがわたし1人だっために異動希望まで固定した方の支援が出来ました。

強度行動障害の方の施設移動を思い立ったのは

入社時は人員を2人体制でその方を支援していましたがもう1人の方が退職と同時に1人体制になり人手不足が要因でその状態が続き何かの理由で支援を休むとご家族が介護されていました。

そんな日で社内公募で2時間近くかかる強度行動障害の専用施設の人材募集をしていました。

強度行動障害の方の支援経験は4人

それまで強度行動障害の方の経験は最初に5年間勤めた所で週1ですがグループホームで夜勤対応をしました、その方と合わせて精神障害の方を支援を行いました。

そこに在籍中にスキルアップを理由に許可をもらったアルバイト先で強度行動障害の方を送迎を就労施設から自宅まで行ってご家族に大変喜ばれました。

3人目の強度行動障害の方の支援はNPO法人の同行援護でグループホームから就労施設までの支援と重度訪問介護で強度行動障害の方の支援で4人ほどの方の支援を経験しました。

最後の方は施設入りで重度訪問介護の利用停止になりました。行動援護の研修は自腹で受講したものの支援方法は都度模索していました。

介護全般がそうですが大変な重度の方向けは特に人手不足が深刻でした。同じ給料なら大変な人より楽な方の介護をしたいと思うのは当たり前の事です。

知的障害者支援から強度行動障害者支援になったのは?

わたしは介助職に入って直ぐに話しが出来る軽度の方の介護に就きましたが、話せるだけに対応に悩んで上司に相談をすると試しに重度の方の介護に入って、それが性に合ったのとやり手が少ない事から重度専門になりました。

わたし的に話せる軽度の方は口先だけで誤魔化したりするが重度の方は発語はないものほ本音勝負と感じて強度行動障害の方はその本音をダイレクトに表現するのが自害や他害、破壊として現れるように感じていました。

重度訪問介護で最初はほぼ毎日の支援でしたが退院して自宅環境に慣れるにつれて日中は生活介護に通う曜日が増えてきました。

お母さんの話しから予想はついていたものの訪問時間の減少に伴い月の勤務時間不足になり他の方の支援も入って来ました。

知的障害の方はほぼ居なくてALSや筋ジスの方々の支援で身体は不自由だけど知能は年相応で、最初の職場で体験済ですが彼は(当たり前ですが)強めの意思表示される方が多く何人かの方にNGをもらい支援から外されました。

想いは高齢者でなく障害者支援を身体のみで無く知的障害の方が向いていると言うよりそれ以外は無理を実感しました。

強度行動障害者の支援に就いたものの

異動面談で食事作りは経験なく運転も下手を伝えました。実際の入ってみると食事作りはみそ汁を作る程度で女性スタッフが行っていました。

送迎時に施設の狭い駐車場から狭い道に出るのに切り返して入出するのが超苦痛な状態でした。

2025年4月に異動して最初に勤めた施設が発祥の施設であり研修施設の位置付けでもありました。そこである程度経験を積むとサテライト施設に勤務になります。

【いよいよ本題】もう駄目、これが最終日と思って出勤の結果は?!

きっけは朝の送迎でした施設の約束事でグループホームに迎えに行った時に利用者が不穏で暴れる可能性があれば車に乗車せずにグループホームに残して気持ちが落ち着いたら受け入れる事になっていました。

グループホームを出る時に不穏になりましたが落ち着いたと思い込んで車に乗車しようとして乗車時に他のスタッフを頭を叩くトラブルがありました。

ベテランのスタッフから判断について「気が緩んでいる」を強い注意を受けました。

弱り目に祟り目で本事業所からサテライト事業所のスタッフ向けの連絡をたまたま見落として頼まれた事をせずに帰ったところベテランスタッフに激怒されました。

極めつけは強度行動障害の方の自害でする怪我を止められずに3回目に負傷した報告をしたら大激怒され、もうこれまでと思いました。

建設業から介護職に移る時もトラブルが続発して、ここはあなたの居る場所でありませんよのシグナルを経験しました。

翌日にあとに記述する大イベントを控えた週末の金曜日にこれが最後の勤務と感じました。
最後なら自分の思い通りにやってみようと思いこれまで時間に追われた入浴を多少長くなっても本人本位に行いました。

これまでの2人から3人のなり入浴後にある次の行事に間に合わせるために、それまで苦しい想いでやっていたのを止めて最後はゆっくり入ってもらう事にしました。

当然次の行事に間に合いませんでしたが相手の方が行事を進めていました。入浴介助中に相手の言動で苛立ちもあり以前なら怒りを口にしてトラブル、そして離職につながりました。

正直最後なら怒って言いたい事を言っても良いかとも思いましたが、これまでの怒りから出た言動は落ち着くと後味が悪いのでグッと飲み込みました。

勤務形態は本事業所に集まって朝礼をしてサテライト事業所に移動、支援終了後に本事業所に戻って1日の報告の終礼ミーティングをして退社になっていました。

その日の終礼ミーティングでサテライト事業所に居た相手方から疑問と称してわたしの指摘がありました。

その日もベテランスタッフからの叱責を覚悟していましたが、これまではコミニケーションを密にしていたのがいい点だったが今回はコミニケーション不足が残念と暖かい言葉がありました。

それに合わせてこれまで大変な思いをやっていた事が意外にも評価されたり入浴時間については無理に次の行事に間に合わなくても良いことをメンバー全員の意見として出されました。

あとは運転(車庫入れの苦痛)問題が残っているものの、他の事柄から比べればまだ臨界的までいっていないので、やるだけやってもう無理と感じたら上司に相談したいと思っています。

この日は最後の日と思って支援しましたが予想外に友好的なコメントがもらえましたが1つの区切り点と感じて次なる出発となる出来事に思えました。

土曜日は神様の地方の社となる拠点の遷座(移転)祭の前日リハーサル

わたしはとある神道系の教団に入っていて、入信時から現在までをある時に研修受講の履歴を見て感じました。

教団に入信するには研修会を受講する必要があり初級、中級、上級のあって初級は必須でそれ以上はお勧めの感じです。
初級研修は22歳の1986年(S61)1月24日から3日間を新卒向けの新人研修で東京に出張中に上野道場で受講しました。
中級研修も22歳の1986年(S61)9月26日から3日間をたまたま東京出張中に田園調布道場で受講しました。
上級研修は24歳の1988年(S63)1月22日から3日間を地元のにじが丘道場(※その後廃止)で受講しました。

いずれも教団が本部ないし教場として存在したところで御神縁(過去世に神様と縁があったこと)を感じました。

研修を受けたきっかけは幻の21期訓練生(幹部候補生)と言われる教団の訓練部(学校)に入りたくて、そのために入信の初級研修を受講しました。

通常は研修を受けて信者となったあとに訓練部に入る流れが逆でした。

地元で道場が分裂統合そして移転を繰り返して乳酸から約40年後に念願の神様の社として教団の自社ビルが手に入いりました。その引っ越しの御祭りの遷座祭のご奉仕者(運営ボランティア)に決まりました。

これまで拠点の祭典ではあるパートのご奉仕を毎月行っていたので同じかと思ったら予想に反して他のパートのご奉仕でした。

遷座祭はゴールではなく出発点と言われていますが、わたし的にイベントはこれで終わり月曜日から平素な毎日が訪れることからラストミッションの気持ちでした。

前日ご奉仕で神様から教えられた事は?!

遷座祭に限らずご奉仕を通して神様から色々と気付かせられたり教えられたりすと聞きますが、前日ご奉仕で心中に浮かんだ事を紹介します。

ご奉仕チームが御神殿中央の座ったのは神様の期待の高さ?!

朝の開始お参りで各ご奉仕分担ごとに縦になって座った場所は御神殿の中央でした。神様事に一切の偶然は無く全ては必然と教えられています。

希望したチーム以外のところを担当したのは神様から特に重要なご奉仕なのであなたに頼んだとそんなふうに感じました。

ご奉仕を見てこれまでの経験は必要だったと感じて

人の性格は千差万別でどんな性格も四十の神の御名が入っていて、多種多様な性格の人が一致団結する事を大切さを教えられています。

わたしはパニックになりやすく過去に何度か経験して歳をとってからはその対処方法も掴んできています。

人の性格によって余計な口出ししたり首を突っ込みたがる性格の方も居ますが、わたしは繊細で内向的ですのでガンガンと物事を進めていくタイプではありません。

職場では利用者が悪い事をした時の注意の仕方が甘いので舐めらると叱られたりもします。一時それを克服しようと無理をした時期もありましたが神様から与えられた性格の持ち良さを殺してしまい上手くいきませんでした。

口下手なのでリーダーは無理でも補佐として個々の人を細かく見るのは得意ではと思っています。

仕事で言えば運転(車庫の出し入れ)や規定時間の入浴はわたしの性格とは合わないので自分らしさを無くすくらいなら未練なく次の場所を探そうかとも思っています。

遷座祭を終えて

細かいトラブルは多少あったものの全く新しい建物に移転して1ヶ月足らずで一千人以上収容してのイベントを行って何事も無い方がおかしいので大成功と言えます。

予想外だったのは撤収した備品関係をビルのどこに運ぶかとかエレベーターの運用が不慣れで式典終了は予定より早めに終わり来場者は早めに帰れましたが、片付けに手間取り終了予定を30分以上超過したのでもっと効率的に行った方が良かったかと感じたくらいです。

 

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