これまでに感じた神様との縁(御神縁)

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今日はとある団体のスピリチュアル講演会のボランティアに行って来ました。公演内容は「運命を開く方法」想いの持ち方•言葉の使い方・先祖供養の大切さを聴講しました。

定期的に開催されていますので興味があれば声を掛けてほしいです。

今の時代に無理に何か買わせたりお誘いする事もありませんので興味があれば更に深く学ぶ事も出来ますし、お悩み相談やミニ喫茶店もあります。

この講演会で今年前半のイベントを終えて一息着くと同時に気が抜けた感じです。

ここからは神との出会いとその後の話しになります。

私が社会人になった20代の頃から神様からの不思議な導きで歩んだ道のりを紹介します。

それは中3の頃ですので15歳位でしょうか?科目は覚えて居ませんが電気関係のテストで初めて満点を取りました。

それまでは中卒で就職するつもりでしたが急遽、工業高校の電気科なら入学したいと言い出して親は慌てたと聞きました。

電気科を卒業して普通の仕事はつまらないと思って「電子交換機なんたらかんたら」の求人に募集しました。そこは零細会社で社長と1人の事務員と従業員が3人だったでしょうか、2人は東京研修で不在でした。

新入社員は高卒の私と中途の2人の3人が入り全員は東京と行っても千葉の我孫子市に研修として送り込まれました。

仕事はそれまで機械式の電話交換機から電子式への切り替え時期で大手通信メーカーで新しく立ち上げた品質管理、修理部門での実地研修(OJT)でした。

それまで地元名古屋から出た事がなく不安でホームシックになりました。2人の先輩とは年齢差で話しが合わずイルカのフォークソングを心の糧に宗教に興味を持ち始めました。

同室の先輩の1人は創価学会員で朝はお経を唱えていました。工場内で出会ったろうあ者がきっかけで社内手話勉強会に参加して山登りをしたり地元の手話サークル手賀の会に入会しました。

親しくなった主要な社内サークルメンバーは創価学会員で無理強いは無いものの入会を勧められたりしました。

当時はビデオセンター名称で2日泊まり込みの2デイや4日泊まり込みの4デイを勧められた参加しました。そこは統一教会でメンバー人柄は良かったものの今ひとつ入り込めずに自然離脱しました。

ヨガの集団と聞いて港区に行きましたが幹部が登場した時の異常な盛り上がりテンションについて行けずにすぐ帰った団体が後にオウム真理教と知った事もありました。

我孫子駅で宗教団体がパネルを出して呼び掛けているのを見て興味を持って帰りに寄りますと言ったものの既に撤収されていました。

「手かざし」をしていると聞いたので書店で関係書籍を購入して東京の道場に電話して最寄りの拠点を紹介してもらったのが柏市で当時は障害の息子さんを持った青野所長の柏お浄め所でした。

聞くとそこで行って居たのは分派の他団体の祟教真光と聞きそこで連絡先を聞いていたら違う人生を歩んでいたかも知れません。

初代教え主様(教祖)から2代教え主様に移行時に教団の一次分裂がありました。

光玉が死去した後、「崇教局長」および「世界本山造営委員長」であった関口榮が「ヨのみ霊」を継承した岡田恵珠を訴えた裁判。 1974年9月18日に関口が代表役員地位確認を名目に岡田恵珠を訴え、約8年の歳月を経て1982年7月5日和解が成立。

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そこは信者と言わずに(神)組み手と言い上野道場をかみの道場と言ったりして違和感もあいました。総本部は静岡県にあり当時はミロク神殿と呼ばれた小ぢんまりとした神殿まで山道のような所を歩いて参拝していました。 

当時は駐車場に広大な森林があり紛れこんだこともありますが、その森林地帯を切り開いて今の主座総本山になるとは夢にも思っていませんでした。

初級を受講すると御み霊と言うものが頂けてそれをつけると手から光が出ると聞きました。

後日上野道場は2代教え主様が道場長だった事を知りました。

当時は直ぐに研修を受ける事が出来ずに御奉仕と言うボランティア活動を行って初めて受講可能になりました。

21期訓練に上がる事で導士になり教団幹部になれると聞いて是非上がりたいと思い、組み手(信者)になる前に希望を出しました。

両親の許可が必要でしたので確認すると無宗教の父親と他の教団の幹部の母親の許可が出たのは驚きました。

訓練に上がるのに研修受講が必須と聞いて入校試験に間に合うように1986年(S61)21歳の1月24日〜26日上野道場で初級研修受講しました。他の方から逆はあるけど訓練に上がるために初級研修を受講するのは初めて事と聞きました。

21期訓練生として二代教え主(教祖)様の面談では基本的知識である「手かざしの急所の3点」を聞かれて答えれなかったので不合格かと思いきや、分からない事は訓練で学べば良いと合格しました。

名古屋の名東区にあった教場=訓練所は狭くて3ヶ月交代で訓練所と各地の道場実習を行っていました。4月に入学して3ヶ月訓練所で学んで長崎の諫早道場配属になりました。

後日分裂時に上野道場と共に残った道場が諫早道場と知りました。

時期的に方面の合同周年祭(いくつかの県の拠点をあつめて行う祭典)の御奉仕をさせて頂きました。

そこは道場は女性だけで男性の私は特別に御神前前で寝ていました。ある日突然「訓練を降りたい」の想いが湧き上がり御神前で祈りましたが想いは変わらず幹部さんに相談しました。

取り敢えず道場実習から訓練部に戻り針元訓練部長との話しで訓練を降りる事になりました。訓練所を出る時に背後で「幹部に出来ない組み手しか出来ない事をしなさい」の声が聞こえた気がしました。

その後に名古屋市北区にある城北道場に転入して向田道場長と出会い青年部長の役を頂きました。この地方で道場を開いた先人の大野さんから別れたか引き継いだ由緒正しい道場でしたが和気藹々としたムードでした。

そんなある日に2度目の教団の大分裂が起きて道場が大混乱しました。1度目は初代教え主(教祖)様が亡くなった時で2度目は主座総本山の完成間近の事でした。

昭和63年(1988年)24歳に世界真光文明教団の信者が奉納金をめぐって起こした裁判(東京地方裁判所 昭和63年(ワ)11701号 判決)。

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訓練部の大半は訓練部長について教団を離れて残ったのは1人の導士だけでした、そのまま訓練部に居たら争いの場に巻き込まれて居たように思います。

その後に知ったのは初級研修を受けた上野道場の元道場長は二代教え主様でしたので「かみの」道場と読んだり、中級研修を受けた田園調布道場は昔は本部だったと知りました。

北区の城北道場から本部の指示で2階に訓練部があった星ヶ丘の虹ヶ丘道場に移りましたがその前だったと思いますが上級研修 1988年(S63)1月22日〜24日にじが丘道場で受講しました。

遡りますが中級研修 1986年(S61)9月26日〜28日田園調布道場で受講しました。

ここは教団の初期に本部と知って初代教え主とはお会い出来ませんでしたが2代様とは訓練生の御面談で対面して、現時点では3代様にご指導を頂いています。

教団本部も二世代目の田園調布道場、三代目の弥勒神殿、完成形の主座総本山と遍歴を見せて頂きました。

第二次分裂騒ぎが落ち着くと新たに設置した北区のちごの宮連絡所と名古屋駅近くの第二森ビルオーナーが道場長の新名古屋道場に別れました。

後日近所のコメダ珈琲でオーナー側近の方がこれまた近所の仏教系の教団の信者になったと聞きご縁を感じました。

当日は西中京方面に属していました。その後に新名古屋道場はオーナーは他宗教に移り、新しく中区の久屋大通駅近くのビルの一室に名古屋道場を設置しました。時を経てちごの宮道場と合併しました。

当時は名古屋市内に西中京方面の名古屋道場と東海方面の豊国道場が存在していました。長期間を経て名古屋道場は西中京方面から東海方面の所属に代わりました。

西中京方面は厳しい指導で有名でしたがアットホーム感覚の東海方面に慣れるのに時間がかかりました。しばらくして名古屋に2つあった名古屋道場と豊国道場が合併して一時的に昭和区の鶴舞に移り最終候補地を選定中です。

その後に2度目の分裂を起こして他教団になった訓練部長を尋ねて当時の状況を聞いたり、自宅近くで新名古屋道場の元幹部に出会いお話しをしましたが1つの出来事でも立場によって大きく見方が変わる事を知りました。

そんな縁があった二代教え主様の昇天後の区切りとなる30周忌を2024年1月に迎えました。訓練開始の辞令は頂きましたが解除は聴いていないので降りた後もそのままに感じています。

2023年には天地創造主との祈り合わせの場の主座に続き現界を創造主の元宮が竣工されて教団全体の御祭である65周年大祭が2024年8月に元宮が出来て初めて行われました。

翌月9月には方面の合同周年祭が執り行われ2024年は入信後40年の節目になり一大目標を終えようかと思った時にこれまた完成形である名古屋道場ビルの買取が終わった事が発表され2025年9月28日に遷座祭(引越しの式典)が行われます。

その後の人生は神のみぞ知る事になりますが目の前の事に真剣に取り組む事が次につながるようにこれまでの経験から感じています。

ここで学んだ大切な教えは「人を裁けるの神のみ人が行えば神の権限を犯すことになる」「常にお詫びと感謝」です。

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