職歴・人生の足跡(時系列自分史)

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  1. 1.1983年4月(18歳)通信機器会社の製造に入社と手話との出会い
  2. 2.要約筆記との出会い
  3. 3.初めての転職
  4. 4.やりたかった仕事に移ろうとしたが・・
    1. 1994年1月(29歳) 電器メーカーの施工監理入社
    2. 2001年9月(36歳)電器メーカー移籍
    3. 2005月4月(40歳) 娯楽施設の電気工事店入社
    4. 5.自分が原因で職場を去る事に
    5. 2005年6月(40歳)電器メーカーの孫会社(合併吸収)再就職
    6. はづき虹映さんとの出会い
    7. 2009年9月(44歳) 電器メーカーの孫会社退職
  5. 6.初の派遣会社に入って
    1. 2009年10月(44歳)派遣会社入社
    2. 鈴木真奈美さんとの出会い
    3. 2013年1月(48歳)携帯の無線基地局の施工管理会社に派遣
  6. 7.初の民間工事の仕事をして
    1. 2013年4月(48歳)太陽光発電の総合商社入社
  7. 8.建設業関係の最終仕事
    1. 2014年11月(49歳)大手太陽光発電の工事会社入社
    2. 2014年12月(50歳)大手太陽光発電の工事会社退職
  8. 9.初の福祉職開始
    1. 2015年1月(50歳)障がい者訪問介護•社会福祉法人入社
    2. 2020年1月(55歳)障がい児デイサービス会社入社
    3. 2020年11月(55歳)人生初の無職期間
    4. 2020年12月(56歳)初めての高齢者(小規模多機能)施設•大手介護サービス会社入社
    5. 2021年4月(56歳)障害者/高齢者サービス•NPO法人入社
    6. 2021年11月(56歳)高齢者サービス•中小民間会社に入社
    7. 2022年11月(57歳)重度訪問介護•大手民間会社入社
    8. 【ここまでの介護歴(7年9ヶ月)】

1.1983年4月(18歳)通信機器会社の製造に入社と手話との出会い

高卒入社の新入社員研修で、千葉県の我孫子に長期滞在することになりました。地元名古屋から出たことはなく不安と期待が入り混じる出発でした。

研修と職務は通信メーカーの工事部門子会社が新しく立ち上げた品質管理部門の「電子交換機の出荷前検査と修理」でした。研修先は千葉県・東北・横浜でした。

工場でろう者と出会い工場内の手話勉強をして地元の手話サークル手賀の会に入会しました。全国手話通訳問題研究会に入会して参加した北海道集会で衝撃な出会いがあったりと刺激的な日々が続きました。

研修期間を終えて地元名古屋に戻って北手話サークルに入会しました 。メンバーの男性の岡泉さんが立ち上げた「自主手話講座」にも参加しました。

ここは「これ今までの健聴者主導の手話指導からろう者が主体に行い、手話の技術習得だけでなくろう者の生活から学ぶ」ことに重点が置かれて、「親の居ない子供の施設訪問」や「盲ろう者交流会」など企画して今までの手話サークルに捕らわれない斬新なスタイルに刺激を受けました。

岡泉さんと大晦日に宣伝用チラシを作ったり泊まり込み会議は他の手話サークルでは味わえない体験で、他の手話サークルでは物足りなく感じて暫くは手話から遠のいていました。

その中で出張先の三重県玉城町で時間に余裕があり町内の手話勉強会を見学しました。

アットホームなムードに惹かれて出張が終わるまで通い、開催されたバザー終わりに見た天使の梯子がとても印象的でした。

送別会開催と記念本まで頂いた思い出深いサークルでした、そこが最後の手話サークルになりました。

2.要約筆記との出会い

全国手話通訳問題研究会の北海道集会の出来事です。工場でろう者と出会った経験から聴覚障害者=聾者=手話と思い込んでいましたが集会に参加した難聴者からろう者とは違った苦労や悩みがある事や手話だけでは通じない聴覚障害者がいる事を知りました。

それがきっかけで名古屋に戻った時に要約筆記等研究連絡会「まごのて」に入会しましたが仕事で全国各地を飛び回るうちに自然と縁遠くなっていきました。

3.初めての転職

1988年4月(24歳)授産施設入社

名古屋の手話サークルの代表の岡泉さんから授産施設の立上げで職員募集を知って福祉仕事に憧れて人生初の転職をしました。

福祉の理想イメージと現実のパン作り、配達の毎日は想いとは大きく異なっていることに耐え切れずに数年で去ることになりました。

この時の縁が元で20年以上後に施設長から介助アルバイトのお誘い電話がきっかけで同じグループで働くことになり介護や障害者との関わりの基本をここて学びました。

1989年9月(24歳)通信機器会社(工事)入社

退職した会社の専務がワンマン社長から分かれて新たな会社を設立したのでそこに再就職しました。退職前の修理部門ではなく電話設備の工事・メンテナンスの業務を行いました。

社員は数人の通信メーカーの孫会社で上司同行で福岡に出張したりボーリング場やラブホテルで夜を通して作業するなど楽し仕事でした会社と別のアルバイトで日当が貰えるのも嬉しかったです。

18歳~29歳 通信技術者として約10年務めて結婚して家庭を持つことになりました。当時の給料では生活が難しいために上司や社長とも相談しましたが解決策は見つからずに転職に至りました。

4.やりたかった仕事に移ろうとしたが・・

1994年1月(29歳) 電器メーカーの施工監理入社

結婚に伴う収入upの為に前職の方と相談して転職に至りました。電器メーカーの系列会社で官公庁の現場監理業務で給料は前職から大きくupしました。

入社時の研修は無くて現場で技術を身に着けるスタイルで先方から叱られて帰りの車中に涙で前が見えない時のありましたが、過ぎてしまえば良い思い出です。

会社方針で「一級電気施工管理技士」と「1種電気工事士」を取得しましたが後々まで資格が役立ちました。毎回担当案件・客先が変わり常に勉強の日々でした。

2001年9月(36歳)電器メーカー移籍

法改正により現場管理仕事が難しくなり会社の存続が厳しくなったので担当部署の3人は社長からの斡旋で親会社に転職をしました。

退職前に転職組3人と社長が一泊で下呂温泉に行ったことは今でも記憶に残っています。

その後10年が経過した時に通信(電話)工事がやりたいの強い思いが浮かびました。

転職活動で年末に内定を得て退職届けを提出後の年明けに先方から「業績不振による内定取り消し」の連絡がありました。辞表は人事まで回っていて取り消し不可能でした。

再就職先を探して受けた会社の面接では仕事の具体的は勤務内容の話しが出て好感触に合格すると思っていましたが、不採用には強い落ち込みと不安感を覚えました。

2005月4月(40歳) 娯楽施設の電気工事店入社

前の電話工事会社に内定して退職届けを出した後に業績による内定取り消しになりやむなく自宅近くのパチンコ店の電気工事を行う会社に就職しました。

試用期間2ヶ月目の仕事終わりに喫茶店で役員から「会社が希望したのは工事と管理が出来る人」と求めている条件が合わないので不採用になりました。

途方に暮れてバスに乗っている時に、もう存在しないかも知れないが送り出してくれた会社の上司に現状報告だけと思い電話をしました。
 
会社は親会社と合併吸収になり社員募集中で面識のある専務に人事権がある残り少ない期間でしたので即採用で元の職場に戻れました。

5.自分が原因で職場を去る事に

2005年6月(40歳)電器メーカーの孫会社(合併吸収)再就職

親会社の方針で組織の統廃合が繰り返され多忙を極めた時期でした。1994年の29歳に縁があってから職種が変わるまでの14年間は公共工事で毎回システムや施工場所が変わる刺激的な仕事でした。

その中で早朝から深夜まで多忙な毎日を送っている、ある時の通勤中の高速道路で自損事故を起こしたり客先からのクレームが頻発するなど変な流れになりましたが、奢り自信過剰の慢心状態は相変わらずでした。

精神的に不安定になり突発的に一段飛びの親会社の「コンプライアンス部門に超過勤務」のメールを入れたのがきっかけで退職まで進みました。

本来は上司に相談すべきでしたが筋道を外してしまいました、メールを出す前に「なぜ相談がなかったのか?」と上司や同僚の悲願の顔が今でも忘れられません。

はづき虹映さんとの出会い

そんな中ではづき虹映さんの書籍「2週間で一生が変わる魔法の言葉(じゅもん)」と出会い、見方を変えて「今出来る事の感謝を持って精一杯行う」事にしました。

このような事態になったのは自らの責任で仕方ないとして、気遣いや心配して頂いた気持ちを当時理解出来ずにそれらの方への感謝の想いが欠けていた事を落ち着いた時に気づきました。

転職探しで初めてのハローワークに行くと閉まる寸前に求人案内の閲覧が出来で次の仕事が見つかりました。

2009年9月(44歳) 電器メーカーの孫会社退職

休日出勤や連日連夜業務の疲労から在籍する孫会社から一足飛びに親会社のコンプライアンス窓口へ早朝に投稿しました。それが原因で約15年務めた官公庁施工管理・仕事を退職しました。

6.初の派遣会社に入って

2009年10月(44歳)派遣会社入社

求人案内で目に留まったのは新しく立ち上がった派遣会社で違和感がありましたが派遣先がない時は社員として社内仕事があるので心配ないと聞き入社しました。

入社条件は派遣先の決定でしたので営業さんと派遣先を探しました。

1社目はミスマッチで2社目の新規開拓の情報板メーカーでは条件がマッチして採用(派遣)が決まりました。

現場は1年目に岡山、2年目に姫路、3年目に大阪と案件ごとに地元の愛知に近づいてくる感じでした、職場の風通しが良く現場の事を気軽に話せる雰囲気で社員になる話しもありました。

2011年12月から1年間の大阪出張中がありました、その間は大阪支店に在籍して徒歩数分のレオパレスを借りました。

大阪の客先は一癖あって慣れないと大変と聞いていましたが、月日が経つにつれて精神的に追い込まれていきました2012年11月の山場を超えるまで残り数ヶ月時点で限界がやってきました。

営業と相談しましたが派遣先の課長が厳しい方で本社部長の人事が決まっていて派遣解除になりました。帰り道に所属する名古屋の課長にご挨拶をした時に暖かい言葉を頂き涙が止まりませんでした。

鈴木真奈美さんとの出会い

そんな混乱が続く中で鈴木真奈美さんの名古屋講演を知って申し込み、講演の中で「自分を大切にする」ことを重要さに気づいてから何か光が見えました。

2013年1月(48歳)携帯の無線基地局の施工管理会社に派遣

年明けから未経験の無線基地局設置の監理業務の派遣になりました。不明点を質問しようにも日中は多忙過ぎて手一杯で定時時間を過ぎてからの対応でした。

2月末に会社から「現在の派遣先は3月末までで3月中に次の派遣先が見つからなければ解雇」の連絡があり、見つらかず2013月3月(48歳) 派遣会社の退職に至りました。

7.初の民間工事の仕事をして

2013年4月(48歳)太陽光発電の総合商社入社

2013月2月からネットによる就職活動を始めました。今までの経験が生かして太陽光発電の総合商社の工事部門に決まりました。

民間相手の会社は初ですがコンプライアン (法令遵守)に厳しく諸法令に基づいて仕事を行っているので官公庁相手の仕事との違和感はありませんでした。
 
入社後は大阪に出張して緊急の改修工事に従事しました。

入社時は三重県伊賀の担当予定でしたが諸事情で契約が遅れたので三重県伊勢市の担当になりました、伊勢神宮の遷宮祭と重なり宿に苦労しました。

当初は基礎工事設置の2週間のみ現場常駐の予定でしたが、終わり間際に現場トラブルが発生して、完工までの3ヶ月現場常駐になりました。

自損事故などが連続しましたが途中で気を取り直して予定の期限内に完工しました。

この現場が終わる頃に25年以上前に勤めた授産施設の施設長からの電話で介助アルバイトを始めて、毎週日曜日に介護職員初任者研修を受講して資格を取りました。

2年目は三重県伊賀市で当初予定の件名を担当しました。その時に人生初の人間関係トラブルも経験しました乗り越えて担当件名が完了したのちに退職しました。

8.建設業関係の最終仕事

2014年11月(49歳)大手太陽光発電の工事会社入社

ネットの転職情報がきっかけで太陽光発電の工事会社に入社しました。これまでの全国を転々とする現場管理業務から日帰りで行える現場作業の魅力から応募して採用されました。

現場作業員の経験がない事を人事に伝えての入社でした。新人研修で受けた2週間の研修は基礎的な挨拶、埃1つない掃除の訓練と恒例の24km競歩でした途中でもう駄目かと思いましたが励まされ目標を達成しました。

配属先の勤務状況は厳しくで入社時から上司に目の敵にされている感じを受けましたがその理由を現場の職人から「私の資格取得の嫉妬」と聞いて愕然としました。

良い所があればと思い転職情報誌にあった「社員第一」の「通信会社」で面接を受けましたが社長面接で即不合格でした。

理由は「仕事に対する意欲(質問)より給料など待遇の質問が圧倒的に多い、職務に対する意欲が感じられない」でした。「スキルは充分で雇用すれば社員は楽になるが待遇面の不満が出て去っていく」不安が残るためでした。

生活のために仕事に就く心の内が見透かされ、通信工事に対する以前の気持ちが失われた事に気付かせて頂きました。

今の仕事を誠心誠意勤める事が優先するのではとアドバイスを頂き、それをきっかけに死ぬまで働こうと肝が据わりました。

そんな時に家内から「大変なら介護の仕事に変わってもよい」の話しがあり、上司の関係改善に努めましたが一向に改善されずに職場を去りました。

2014年12月(50歳)大手太陽光発電の工事会社退職

44歳~50歳 派遣会社と工事会社を約5年務めました。前職を退職した翌年(12月退職なので翌月)に同期の営業から準社員(入社後3ケ月以内の試用期間の社員)に退職勧告が行われ退職する連絡がありました。

「太陽光ブームで社員を千人増員したが当初の目論みが外れて収益が悪化に伴う増員分のリストラ」でしたが、上司の顔色を窺っていても退職する可能性が高かったように感じました。

9.初の福祉職開始

2015年1月(50歳)障がい者訪問介護•社会福祉法人入社

それまでの建設業の現場工事、現場監理から50歳に始めての訪問介護職に就きました。

きっかけは25年前に働いていた授産施設長の「介護のアルバイトしませんか?」の電話が縁で始めたアルバイトからフルタイムになりました。

3年間の実務経験を得て介護福祉士の資格を取得して、5年勤務して夜勤が辛くなって自ら去りました。

404 NOT FOUND | 名古屋人くにのホームページ

2020年1月(55歳)障がい児デイサービス会社入社

2019年11月初めにグループホームに向かう途中にあった「児童デイサービス」の看板が気になり応募して採用されました。

入社後から短期間に堤防で対向車とのミラー接触や駐車場場内の接触事故などの車両トラブルが続きました。

入社後数ヶ月後に退職届けを出して取り消しをお願いしたり、連絡帳を書く中で1人の子どもが邪魔をして全く進まず感情的に怒った事、その前にプレッシャーから女性スタッフにキツイ口調で話した事を代表から厳重注意を受ける事などがありました。

子どもを支援すべきものが犯した過ちを大きく反省しました。その後の4月に要望した自宅近くの職場に移動になりました。

その半年後の2020年10月の下旬に本社から呼ばれて「ブログの記事」を理由とした職務違反を指摘されて月末の退職勧告があり、それに従いました。

2020年11月(55歳)人生初の無職期間

月末に近い退職のために次なる仕事が決まらないままの1ヶ月を過ごしました。

2020年12月(56歳)初めての高齢者(小規模多機能)施設•大手介護サービス会社入社

転職エージェントと「障害者」関係に拘り仕事を探しましたが条件に合う仕事が見つからずに「高齢者」を視野に入れたら2件の候補が上がりました。その内の1つの高齢者施設小規模多機能施設勤務に決まりました。

初めての高齢者介護でスピード速さやスタッフやお客様対応のストレスから入社月の月末に足がすくんで職場に行けずに上司に連絡を入れてメンタルクリニックを受診しました。

時期同じくして無料の大腸ガン検診で陽性の結果が出ました。紹介された病院で精密検査と並行して一部のポリープの切除を行いましたが安全面から他のポリープは入院切除になりました。

大病院を紹介されて2021年3月初めに摘出手術を行い一週間入院しました。

手術前検査の心電図で心筋梗塞の疑いがあると言われて更に詳しくエコー検査やCT検査と進みましたが異常は見られませんでした。

そこで受けたCT検査で腎臓に白い固まりが見つかったので退院後に泌尿器科受診を勧められましたが手術を無事終えて落ち着き3月末に退職願いを出して受理されました。

2021年4月(56歳)障害者/高齢者サービス•NPO法人入社

転職フェアのブース巡りをした2社から予期せぬオファーがありその内の1社に転職しました。

このNPO法人で高齢者施設の2カ所と障害者部門にある児童デイサービス、移動支援などの業務を日替わりで勤めてました。2021年10月から就業継続支援B型勤務になりました。

新人の女性スタッフとのトラブルがありましたが管理者の仲裁でメンバーで話し合いが行われてわだかまりが溶けたと思っていました。

そんな折にベテランが不在時に利用者さんから私の準備不足で仕事が無くなったと怒って帰ろうとするトラブルが発生しましたが、他部署のベテランの方が駆けつけてその場は収まりました。

その時期は有期雇用期間の9月を過ぎて10月に入ったに関わらず有期から無期の更新の話しが出ないモヤモヤがありました。

更新の話しを切り出すと「これまでの勤務態度から6ヶ月の有期から無期雇用にするのは不安があるので、あと3ヶ月有期にして様子見」と役員会で決まったと聞きました。

心の整理をするために「3ヶ月有期雇用」を受け入れるを少し待ってもらいました。翌日にメールで関係性改善のために想いを綴りましたがそれが伝わらずに、ブログに書いた内容に不信感を抱いていると聞かされました。

これらの言動から理事会で法人の理念に合わない事を理由に「12月までの3ヶ月有期雇用の更新は認めるが以降の更新はない」と決まったと言われました。

即解雇でない事に感謝しつつも次の仕事が見つかり、先がない状態で数ヶ月勤めるのは自他共に辛いと思い10月に退社させて頂きました。

福祉経験.xlsx

2021年11月(56歳)高齢者サービス•中小民間会社に入社

前職の退職時に頂いたアドバイスに従って「自分の性格は人や環境に慣れるのに時間がかかる」事を履歴書に書きました。

介護職にとって致命的な事柄なので直ぐには採用が決まらないと思っていましたが、面接では前向きに受け入れて頂きクレペリン検査も同様の傾向が示されて「採用•可」の記載で採用になりました。

面接で「道覚えが苦手な事」を伝えたのですが現場まで伝わらずに管理者から「道覚えが悪いこと」そして「利用者さんがナビ利用を見て不安を訴えている」を指摘されて、後日そのことに悩んでいることを相談しました。

管理者曰く「苦手な送迎を毎日続けても仕事は面白くないし苦痛なので、資格があるので送迎が無い老人ホームへの移動」を上と相談すると言われて送迎が殆ど無くなりフロアメインになりました。

2022年5月〜 
老人ホーム勤務に移動になりました。以前のように一人一人丁寧に対応したい思いつつも30人近く方の対応や社内業務などの多忙さでストレスが溜まって声を荒げる場面がありましたが途中でクールダウンしてその場は終わりました。

管理者から「1.絶対感情的にならない 2.言われた事は嫌な顔をせず一度受ける 3.それが無理なら管理者に伝えるか、相手の気分を害さないように丁寧に受けれない趣旨を説明する」の指導を受けて順守するも多忙さ等のストレス状態が続き前と同じ過ちをする前に退職の決意をしました。

2022年11月(57歳)重度訪問介護•大手民間会社入社

【転職のきっかけ】

前職で高齢者デイサービス6ヶ月そして老人ホーム3ヶ月を過ぎた頃から「これでいいのだろうか?これが本当にやりたかった事だろうか?」と自問自答していました。

その中で経営理念に共感する方の記事を見つけて読むと「重度訪問介護」等を手掛ける会社の最高責任者と知りました。

ウェビナーでその方の講演を聴き、この人ならの確信を得ましたが会社概要紹介のzoom参加申し込みまで暫く期間が空きました。次のステップの面談に申し込みも怖さからキャンセルしました。

仕事は多忙さから1日はあったいう間に終えて退職勧告を受けた訳ではないので勤めようと思えばこの後も継続出来る事が背景にありました。

その間も障害者問題に関する書籍を読んだり、会社のホームページからトップの考えが分かる記事や動画を見て、「よし」と思いオンライン面談に申し込みましたが、面談段階でも踏ん切りがつかずに様子見のためにアルバイトで始める事を伝えました。

面談を終えて自分の思いをみつめると、自分や周りに対してその程度の軽い気持ちで業務に取り組むのはどうかと思い直して「覚悟を持って取り組むためにフルタイム社員」をお願いしました。

【ここまでの介護歴(7年9ヶ月)】

障害者(知的・発達)5年
障害児10ヶ月
高齢者(デイ・施設)1年4ヶ月-2社合計
障害者/障害児/高齢者複合7ヶ月

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