高速道路でスピード違反
名古屋から仕事で飯田に向かう途中に、約束の時間に遅れそうになってスピードを出していたら高速道路で捕まりました。
【状況説明】約束時間ギリギリで客先に書類を持参するため高速を急いでいました、いつもなら制限速度で走行でしてが、その日は制限速度を超えて追い越し車線を走っていました。
前方の追い越しに低速車(制限速度車)がいたため走行車線から追い越した。しばらく走行車線を走っていると先ほどの車が覆面パトカーで赤色灯をつけて前方に回り車内表示で「後ろにつづけ」「左によれ」の指示がありました。
車内に誘導された。「仕事でスピード違反で免許がなくなるのは困るでしょう。ゴールドカードなので通行帯違反(追い越し車線の走行)の方で切符をきります」「罰則金を納3ヶ月無事故無無違反なら違反点数は0に戻るがゴールド免許は次の更新でグリーンに戻る」との事でした。
上司に報告をすると「事故ではなかったのでよかった、スピードの出し過ぎにより事故を未然に防いでもらったと思えば」と言われました。
今回の件で「今まで仕事の忙しさ(忙しいは「人」を「亡」くすを読みます)に追われて自分を忘れ、周りが見えない状況に気づく貴重な体験でした。
以前に知人が運転する車に同乗して一車線の道で前にのろのろ走行の車が居ましたが、その方は「仏様が前にあの車を付ける事で速度を落として事故を防いで下さっている」の言葉が約20年たった今でも鮮明に覚えています。
それから暫くして毎年捕まるようになりました。
☆新しい会社(派遣会社の派遣先)の1年目の岡山では何事もありませんでした。
☆2年目は一般道をスピード違反
姫路の現場から客先に向かう途中に、いつも通る道でスピード違反をしました。記憶では60k制限から40k制限に変わった区画を50k走行で捕まりました。
周囲の車両がスピードを落としたので、注意して見ると前方にネズミ取りが見えました。自分もスピードを落としましたが、止められて警察官の説明を聞くと40k制限の標識を指差されて気づきました。
捕まっていたのは他府県ナンバーの車両でしたが異変に察知出来ただけに速度制限の変更標識に気づけずにテンションが下がりました。
☆3年目は駐車禁止
大阪のレオパレスの契約時に、数分間に路上駐車をして駐車禁止で張られました。
何か嫌な気配がして(多分路上駐車の車が少なかった)警察官の取り締まりや駐車禁止のステッカーが張られないように打ち合わせ中は車を注意していました。 車に戻ると、左側の店内から見えない所にステッカーが張られていました。
支店の方に話すと近くに警察暑があって地元では取り締まりが厳しいと有名らしいです。としたら人の目を感じたのでしょうか? 社用車で支店から歩いて数分でしたので、会社の駐車場に停める事も可能でした。
契約後に部屋へ荷物を持ち込むのに会社に戻るのを面倒がったためです。 近くの警察暑に行くと理由が分かりました、警察暑に行くのに、反対車線を通るので違反車両が目に付きやすいと言う事です。
☆そう言えば記憶のある範囲の違反で、深夜早朝の仕事で入り組んだ団地にある駐車場に入れるのが面倒で路上駐車したら違反ステッカーを張られました。
違反ステッカーを貼っては現場に行けないで、近くの警察暑に行くと当直の方から同情に似た言葉がありました。
2回の駐車場違反に懲りてその後はどんな事があっても駐車場に入れる事にしました、駐車場代は経費処理出来ますが罰則金は自腹で手続きに手間がかかります。
☆この違反でふと「最近は毎年何がしらの違反で捕まる」と思いました。年末に仕事の精神的プレッシャーに耐えられずに派遣先を変わる事になりました。
☆信号無視で捕まりました
派遣先の最後の現場を終えて、自宅に帰る途中に交差点に侵入したら赤信号で信号無視で捕まりました。
暫く交通違反が続発したので「次回違反をしたら免停か講習会受講の案内書」が届きました。その後は違反なしで過ごしています。
逆に考えると「異常な回数の違反数があって悪意あり」と受け取られも仕方がない状況でしたが、自分ではいつも通りの行動でした。
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新しい職場でも現場管理仕事ですが官公庁から民間相手に変わり、正社員になりました。 初の現場担当は伊勢で盆明けから土木工事の管理の為に三週間ほど現場常駐する予定の最終の週でした。
☆まさかの現場事故で労災が起きました。
状況は不自然な状況で被災者は入院のため詳細は不明でした。
施工(工事)部が設置されてからの不名誉な災害発生1号でした。
早速上司に報告すると大阪の(前職の最後も大阪支店でした)上司と東京の安全管理部の責任者が駆けつけました。
救急車の出動があって労災と分かると自動的に警察に連絡が入るようなっているので、救急隊の後に刑事さんが事情聴取に来られてましたが、事件性はないと判断されて帰られました。
その後に労働基準監督署に報告を行い、上司及び安全担当者と合同で労働基準監督署の立ち入り検査がありました。
幸いと言うか前職の官公庁の形式で安全書類を作成していたために安全書類の不備はなく数点の追加書類の要求があった程度でした。
週末に近い事故でしたので、土日返上での書類作りでした。官公庁の事故では労働基準監督署の書類より発注者に対する原因究明と対策が厳しく求められます。
官公庁は安全関係は厳しく精査された書類を元に施工を進めます。決済が降りた安全書類はある意味ではベストな内容になっています。
そこから書類と矛盾しない問題点を見つけて改善策を纏めるのは至難の業ですので、事故を起こされた方は心身共にグッタリしています。
同種事故防止のために関連する工事はストップされて安全対策の見直し是正が入ります。その事を知っている現場監督(現場代理人)は正直他業者に対して申し訳ない思いで一杯です。
今回の不幸中の幸いは他社への波及はなく、被災者が無事退院されて仕事に復活された事です。
☆車両の接触事故
そんな現場事故を起こして宿に帰り駐車場に入れる際に車両をぶつけて損傷しました。社内ルールで上司に報告義務があるので暗澹たる気持ちで報告をして事後処理をしました。
ホテル側に報告すると施設には特に問題ないと言われて、警察に連絡を行い現場検証の上で事故証明書を求めました。
レンタカー店では車両事故は個人請求の契約と言われました。大手から初めての中小企業に入って携帯用電話代も個人払い(と嘘か誠か解らない事)を聞いていましたので、こんなもんかと思っていました。
その日の帰りに上司と安全担当者と一緒に車で会社に戻る途中にレンタカー店の話ししました。会社設立時は解らないが今は車両事故の修理代や携帯用電話代の請求はあくまでも会社請求と教えてもらいました。
早速レンタカー店に連絡をして会社請求になりました。車両事故だけでしたら知らずに数万円の修理代を自腹支払いでしたので複雑な気持ちでした。
☆更なる怪我人の発生
そんな翌週にまたまた怪我人が出ましたが、真摯な話し合いで穏便に終わりました。
そんなこんなで入社1年目の担当現場が終わりました。本来ならば入社後に担当する案件が伸び伸びになり、担当者が出世して私で三人目の伊賀現場が翌年にようやく始まる事になりました。
年明け後暫くして(スピード違反、駐車場違反、信号無視の)3違反に続き(現場事故、車両事故、怪我)3事故で物理的はトラブルはなくなりました。
当時の会社は業務連絡は全てイントラネットの電子掲示板で通達されていました。会社が急成長した過度期で社内ルールの改定が部署に関係なく頻繁にされていた時期でした。
☆何故か見落としが頻繁して出張清算書類も「社内ルールに従っていない」との事で否認され続けて、精神的にプレッシャーが大きくなっていました。
上司からは私一人がルール無視をする社員と映っていたらしく厳しく指導を受けました。
会社体制は施工(工事)部は大阪本社にあって上司の課長と多くの部員はそこに居ました。私は名古屋営業所に一人で、もう一人の新しい方は研修期間という事で大阪の主任から指導を受けていました。
状況的には多分みんなが同じかと思いますが、毎日顔を見て話せる距離と、いちいち電話をしないと伝わら環境では多忙な上司にとってストレスになった気がします。
その後、上司からコミュニケーションを取るために必要に応じて大阪に来るような話しがありました。
私自身が上司の言動や電話に恐怖心を持つようになって更に距離を広げたように思っています。
当時の名古屋営業所は私が退職を決意して現場を終えて戻ると、保守部隊と施工(工事)の後輩が今月来月と退職すると聞きました。
後輩は大阪の上司の面談を受けて入社(私は現場が多忙で人事だけの面談)して、将来有望な方でしたので退職を思い直すように散々説得されたらしいです。
現場訪問がコストとして見られて、電話対応や業者指示で対応して経費節減の会社方針には職人気質の彼には合わなかったようです。
支店内は縦割りで営業(所長)と工事部では職制が異なりますが、毎月我々の部の社員が辞めていく異常さに気づいた所長が対策に乗り出しました。
腹を割って話しが通じた時は、遠くの上司よりも毎日顔を合わす職場の大切さを実感しました。
ここで学んのは、経費節減の為にIT化を進めて本社や各営業所、会議室の状況がモニターに常に写されており、TV電話も頻繁にする私が大好きなテクノロジーの固まりの会社でした。
究極のテクノロジーは人間関係を希薄にするように思えました、確かにTV会議で顔形は見れます。
しかし顔と顔を交えて、相手の体温を感じる距離で話すことで得られる総合理解には勝てないと感じました。
毎週画面での顔合わせよりも月1の会議や食事会の方がより親密になると思います。
その後に入社した大手の工事も含めたサービス会社は全て手書きで報告書も手書きでした。 パソコンも会社にありますが、部署毎に数台でした。
現在もそうですので、メールで書類を送ったり電子掲示板は使用しないので事有るごとに書類を取りに行ったり、回覧板を見に行ったりとある意味では手間が増えた感じですが・・
もう1つ学んだ事があります、今までは営業さんとは完全分離でしたのでよく分かりませんでしたが、営業さんと同一フロアで営業の喜びや苦労を少しですが共有出来たように思います。
その後の会社では同じ支店の営業さんと同期入社して鬼の研修を一緒に受けて、気持ちを知る事ができました。
私は2ヶ月後の12月に退職して、その方は翌年の1月に発令された準社員(入社後3ヶ月以内)の退職勧告で退職されたそうです。
数千人規模の大量採用と大量解雇をされている会社を最後に今の仕事につきました。
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次の職場は障害を持つ人も持たない人も均一分配を行うので、給料と呼ばずに分配金と呼びます。家族構成や持ち家の有無で加算金が付きます。
障害の有無では分けて居ませんので比率は分かりませんが、働くメンバーは200名を超えたと聞き、人が増えれば色々な考え方が出ます。
重度の知的障害等でお金の価値や使い方を知らない方も一緒に住んで介助体制が惹かれています。 類推すると彼らも福祉施設出働く方と同等の収入を得ていると思われます。
生活体に住めば家賃や光熱費はシェアハウス並みで他には食品の負担位です。週末に余暇がありますが食事代+興味がかる物品(本とかオモチャ)を買う程度ですから、普通に考えるばお金は溜まります。
そのお金は親御さんが管理しますが、ご両親に万が一あっても生活出来るシステムが出来上がっています。
本来は子供のために思うなら過剰にお金を貯める必要は無いと思います。 遺族が子供さんの財産を次の方へと寄付金があって生活体の土地代や建設資金に回ったりします。
現在は老後に働けなくなったり、もしも寝たきりになった時の対応が可能なように環境面を整備中と聞きます。
物言えぬ彼らの幸福度を上げるにはどんな介助を行えは良いか日々自問自答していますが、実績を持つ責任者の言葉が浮かびます。
確かに介助者個々人が相手の幸福追求をしていると思いますが、彼らは今までその状況の生活を毎日続けてきた歴史がある。
生活向上の視点での環境改善は大切だが、性急には行えない彼らの生活パターンを深く考えずに我々の思いだけで変えてしまうのはどうかと思うは突き刺さる言葉でした。
【私の今回のトラブルの意味の解釈】
3違反→本来の自分のペース(在り方)から離れて周りが見えないような飛ばし方(高速道路のスピード違反)をしていた自分、スピードを緩めたようで速度標識が見れないように物事が見れない状態(一般道のスピード)になっていた。
本来は有るべき所で止まりべきだったが(駐車場違反)、行き過ぎて法則を無視した(信号無視)。
→もしかしたらこの頃から本来やるべき事から道がズレたのか、ズレる危険性があったのだと思います。 青信号から黄信号に!
3事故→本来の自分がいるべきではない所にいて居場所が違う事への厳しい警告(現場事故)、その環境を引き続きける事で他者にも迷惑をかける(車両事故)。
そのような緊迫した環境の中で更なる狂いを発生させて(怪我)取り返しが付かなくなる。
→黄信号が点灯から点滅に赤(危険)信号になる直前に!
そこから負のスパイラルに突入する。
※これは私の感じた事で同じ現状が発生しても人それぞれに意味が違うと思いますし、本当の意味が分かるのはあの世に帰る時でしょうか?

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