生き方を変えるのではなくやり方を変える-夢からの気づき

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久しぶりの休みに感じてカレンダーを見ると月曜日火曜日勤務の水曜日休みで木曜日から日曜日の4連勤後の休みでした。

よくよく考えたら水曜日は仕事休みでも1日がかりの受診で、実質7日休みなしの休日でした。

その影響か久しぶりに夢を見ましたが不思議な内容ですが備忘録として書き残します。

さて本題ですがこんな返な夢を見ました、それは子供と元気よく過ごして、その団体に帰ってくるとベテランの女性らしき人がその子供がお漏らししたか何かをリーダー格と人と話していました。

リーダー格の人から言われた内容は記憶がありませんが、「なんでトイレに行かなかったの?」的な質問を受けたように思います。

私はその子が遊びに夢中でトイレの素ぶりも無かったのでそのまま帰ってきましたのでショックを受けました。カレーのようなものを食事中に感情が抑えきれなくなりましたが最後まで食べて、そこから離れたいの思いで目的もなく出かけました。

場面が変わり何目的か分かりませんだか各家庭を回った事を同僚か友人に話してから1人になり歩きまわって、時には立ったまま寝たりしてあてもなくフラフラしていました。

ある女性から呼ばれてふとんが敷かれて夜なのか寝ている人も居るところで「何か疲れた顔をしていますね」と話しかけられました、

その前でテープレコーダで何かを録音していた男性がマイクからナレーションを入れようとしていたが周りの騒がしさから静かな所を求めて離れるのを見ました。

そこでふと思ったのはあそこは何の団体でボランティア活動か仕事かは分かりませんでした。仕事としてもそこまで嫌なら自分を誤魔化してまで続ける事はないし、ボランティア活動でしたら活動は自主的な意志が必要不可欠です。

リーダー格の人に言われたことへの自分の想いを考えました。その子供の対応で性格に合わない生き方を変える事はしなくていいけど、その子の為なら多少苦手な事でもやり方は変えてもいいかと思いました。

逃げ出した、あの団体はしっくり来ないのでボランティアでも仕事でも無理してそこに固執する事はないかな?と思うと気持ちが落ち着きました。

ふと新天地の仕事で思い当たる事がありました、私は人からはよく言えば言葉が綺麗とか丁寧と言われます。

知的障害を持った方に伝えるには単語2つ程度が適切で例えば「散歩 行く」とか「ごはん 食べる」とかできつく聞こえたりします。
 
そんな言葉掛けが苦手でしたが、同じ事を行ったも単語2つの方が当人が動く=伝わる事からその方が当人にとってストレスが少ないと感じて先日からチャレンジを始めたところでした。

夢でみた「生き方(性格)を変える必要は無い」は、そんな表面的な言葉では彼らに不協和音として不穏の要因になります。

彼らストレス低減のために「性格を生かしたやり方を変える」対応を続けるように後押しされた感じを受けました。

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